頼山陽の詩碑(甲山森林公園の自由広場)
甲山森林公園の自由公園
このページの情報は2025年1月8日に訪問した当時のものです。
頼山陽 冑山歌
冑山昨送我
冑山今迎吾
黙數山陽十往返
山翠依然我白鬚
故鄕有親更衰老
明年當復下此道
冑山歌の詩碑と解説
この詩碑は江戸時代の有名な漢学者である頼山陽が彼の郷里(広島、竹原)から京都を往復するたびに仰ぎ見る甲山に託してその心境を詠じた。
漢詩でその大意は「甲山がついこの間私を送り今また私を迎えてくれた。それとなく数えると10回も往復している。山の緑は昔と変わらないが、私はすでに白髪になってしまった。故郷の母親はさらに老衰している。来年、またこの道を通って帰郷することであろう」。という意味の詩で、限りある人生を対比させ永遠に栄える日本の山河に愛の讃歌を詠いあげてる名詩として著名である。
(西宮ライオンズクラブ)
頼山陽について
頼山陽(1780年-1832年)は、江戸時代後期を代表する文人・歴史家です。本名は頼一(らいいち)。広島藩の儒者の家に生まれ、若くして詩文に優れた才能を発揮しました。儒学を学びながら、中国文学や歴史に精通し、詩文において独自の地位を築きました。
代表作『日本外史』は、古代から江戸時代初期までの日本の歴史を武家社会の視点で描いた歴史書で、幕末の志士たちにも愛読され、尊皇攘夷運動の思想的基盤の一端を担いました。
また、山陽の詩は、中国詩の形式を取り入れながらも日本独自の情感を織り交ぜたもので、文学的価値が高く評価されています。学問と芸術を融合させた彼の存在は、今もなお歴史と文学の両面で輝きを放っています。
頼山陽の歌碑
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