おびひろ動物園の魅力:北海道で楽しむ動物たちとの時間
親子で学ぶ動物の世界!おびひろ動物園のおすすめポイント
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おびひろ動物園
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十勝と馬の歴史
十勝と馬の歴史
1799年頃、南部馬を起源とする馬、道産子(北海道は和種) が十勝に入りました。
体が小さく足腰の強い道産子は、背に大量の荷物を乗せて悪路を進むことができるため、主に交通手段や物資の輸送などで人々の暮らしを支えました。
1890年代には道産子をペルシュロンやトロッターなどの輸入馬によって大柄に改良した農トロと言われる馬が活躍するようになりました。当時の馬は、プラドなど大型の様式農具を引いて開拓者と共に広大な土地を切り開いて行きました。
1904年(日露戦争)頃から1945年(太平洋戦争終結)までは、軍用の乗馬や馬場を目的として改良が続けられました。
終戦後は再び農用場の需要が高まり、十勝の馬は、ペルシュロンやブルトンといった大型の輸入馬により、現在のばん馬に近い姿に改良されました。しかし、1950年代後半になると、農業の機械化や自動車の普及により、馬の仕事は減り、飼育頭数も急速に減少しました。
2023年現在、世界で唯一である帯広市のばんえい競馬において、ばん馬の活躍する姿を見ることができます。共に歴史を重ねてきた馬への想いは、十勝に今も息づいています。
(説明文引用)
1799年頃、南部馬を起源とする馬、道産子(北海道は和種) が十勝に入りました。
体が小さく足腰の強い道産子は、背に大量の荷物を乗せて悪路を進むことができるため、主に交通手段や物資の輸送などで人々の暮らしを支えました。
1890年代には道産子をペルシュロンやトロッターなどの輸入馬によって大柄に改良した農トロと言われる馬が活躍するようになりました。当時の馬は、プラドなど大型の様式農具を引いて開拓者と共に広大な土地を切り開いて行きました。
1904年(日露戦争)頃から1945年(太平洋戦争終結)までは、軍用の乗馬や馬場を目的として改良が続けられました。
終戦後は再び農用場の需要が高まり、十勝の馬は、ペルシュロンやブルトンといった大型の輸入馬により、現在のばん馬に近い姿に改良されました。しかし、1950年代後半になると、農業の機械化や自動車の普及により、馬の仕事は減り、飼育頭数も急速に減少しました。
2023年現在、世界で唯一である帯広市のばんえい競馬において、ばん馬の活躍する姿を見ることができます。共に歴史を重ねてきた馬への想いは、十勝に今も息づいています。
(説明文引用)
動物たち
トラ
アメリカバイソン
アメリカバイソンの歴史から学ぶ
かつて北米には6千万頭のアメリカバイソンが生息し、見渡す限りの大地を埋め尽くしていました。先住民は昔からバイソンを狩り、その肉や皮などを大切な食料や道具として利用していましたが、バイソンの数が大きく減ってしまうことはありませんでした。
しかし、後から北米に移ってきた白人たちは、毛皮などをとるために大規模な乱獲を行っただけでなく、とてつもない数のバイソンをゲームとして殺し、その死体を荒野に放っておいたのでした。バイソンは急速に数を減らし、先住民も昔ながらの生活を失いました。政府がようやくバイソンを守るために動き出したのは、1894年、アメリカにおける野生のバイソンがわずかに20頭しかいないと分かってからでした。人間のせいで、危うく絶滅してしまうところだったのです。
地球上には、今、まさに絶滅の危機にある動物たちがいます。私たち人間は、バイソンの歴史から学んでいかなければなりません
帯広商工会議所創立百周年記念アメリカバイソン寄贈 設置2021年4月29日
(説明板引用)
かつて北米には6千万頭のアメリカバイソンが生息し、見渡す限りの大地を埋め尽くしていました。先住民は昔からバイソンを狩り、その肉や皮などを大切な食料や道具として利用していましたが、バイソンの数が大きく減ってしまうことはありませんでした。
しかし、後から北米に移ってきた白人たちは、毛皮などをとるために大規模な乱獲を行っただけでなく、とてつもない数のバイソンをゲームとして殺し、その死体を荒野に放っておいたのでした。バイソンは急速に数を減らし、先住民も昔ながらの生活を失いました。政府がようやくバイソンを守るために動き出したのは、1894年、アメリカにおける野生のバイソンがわずかに20頭しかいないと分かってからでした。人間のせいで、危うく絶滅してしまうところだったのです。
地球上には、今、まさに絶滅の危機にある動物たちがいます。私たち人間は、バイソンの歴史から学んでいかなければなりません
帯広商工会議所創立百周年記念アメリカバイソン寄贈 設置2021年4月29日
(説明板引用)
カンガルー
ウサギ
ニホンザル
アメリカビーバー
コモンリスザル
マンドリル
チンパンジー
ミニチュアホース
ラマ
シロクマ
帯広畜産大学サテライト
動物たちの頭蓋骨
鳥たちの羽根
植村直己記念館の案内板
植村直己記念館 冒険家の軌跡を辿る:おびひろ動物園の「植村直己記念館」 北極からヒマラヤまで、植村直己の壮大な冒険の世界 おびひろ動物園内にある「植村直己記念館」は、日本を代表する冒険家、植村直己の偉業と人生を伝える特別な施設である。彼が成し遂げた数々の挑戦やその背景を知ることがで...
1963年 こども動物園オープン
1963年 こども動物園オープン
小動物との触れ合いを楽しむミニ動物コーナーは遊園地内にあり、お城が目印になっていました。
昭和56年には動物園東側の敷地を拡張して、ブタ捨、小動物舎、ウサギ舎、水鳥池、こども会館などで構成されるこども動物園が整備され、小動物が住まいを移しました。
昭和57年6月5日の開園式には、わかば幼稚園の園児がテープカットして開園お祝い、ウサギやモルモットを抱っこして触れ合いを楽しみました。
こども動物園は、平成15年に小鳥やエゾモモンガなどの動物達の楽園として「どんぐりのいえ」が新築され、翌年には、ヤギやヒツジ、モルモットなどを飼育する「ちびっこふぁーむ」が誕生しました。
2013年7月13日
(看板引用)
小動物との触れ合いを楽しむミニ動物コーナーは遊園地内にあり、お城が目印になっていました。
昭和56年には動物園東側の敷地を拡張して、ブタ捨、小動物舎、ウサギ舎、水鳥池、こども会館などで構成されるこども動物園が整備され、小動物が住まいを移しました。
昭和57年6月5日の開園式には、わかば幼稚園の園児がテープカットして開園お祝い、ウサギやモルモットを抱っこして触れ合いを楽しみました。
こども動物園は、平成15年に小鳥やエゾモモンガなどの動物達の楽園として「どんぐりのいえ」が新築され、翌年には、ヤギやヒツジ、モルモットなどを飼育する「ちびっこふぁーむ」が誕生しました。
2013年7月13日
(看板引用)
観光スポット紹介 バンライフの旅で出会った学びと感動のスポット このブログでは、バンライフを楽しむ中で実際に訪れた記念館や博物館など、ぜひ紹介したいと感じたスポットをお届けします。 酒ミュージアム(白鹿記念酒造博物館) おびひろ動物園【北海道・帯広】 植村直己記念館【北海道・帯広】...