西宮市甲山森林公園を満喫&神呪寺初詣
西宮市甲山森林公園:2025年1月8日
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朝9時21分、甲山森林公園の駐車場に降り立つ
2025年1月8日、冬晴れの澄みきった空。こんな日は室内でこもって仕事をするなんてお天道様に申し訳ないと思い立ち、移動事務所仕様のハイゼットカーゴ(クロ)で兵庫県西宮市の「甲山森林公園」へ向かった。
仕事とリフレッシュを兼ねた一日のつもりだったが、結局この公園の魅力にどっぷりハマり、ほぼ「散策デー」と化してしまった。
まずは公園マップをチェック。なるほど、森林を散策するだけでなく、どうやら見どころがいくつかあるらしい。
シンボルゾーンだの展望台だの、池だの広場だの、石丁場跡だの説明を読んでいるうちに、もう頭の中は「仕事」から「散策モード」にシフトしている自分に気づいた。まあいい、こうなったらとことん楽しんでやろう。
シンボルゾーン
長さ360m のプロモナード構造の広場に公園のシンボルである愛の像(白大理石 高さ8.6m)やくすのき並木などがあり、愛の像の背後に甲山を一望することができます。
展望台
好天の日には眼下に広がる阪神間のみならず、生駒山地や金剛山地なども眺めることができます。また、周辺には大阪城再構築時の石丁場の様子をうかがえる巨石がいくつもあります。
みくるま池
その昔、淳和天皇がここで御車をおられたという言い伝えから、この名が付けられています。池の奥には小さいお子さんも利用できる水あそび場があります。
自由広場
公園内の桜のスポットの一つで大小二つの広場や四阿(あずまや)があります。また、公園の一角には日本外史の著者である頼山陽(らいさんよう)が詠んだ「冑山歌」があります。
国指定史跡 大阪城石垣石丁場跡
仏性ヶ原一体には、江戸時代の大阪城再構築時に使われた石垣の巨石を切り出した砕石場跡があり、大阪城へ運ばれることの無かった加工途中の石材がいくつも残されています。
シンボルゾーンの「愛の像」
まず向かったのが「シンボルゾーン」。
シンボルゾーンの入口から愛の像までの道には左右で合計14体の彫刻が配置されており、芸術に触れる贅沢なひとときだ。
愛の像の背後には甲山がドーンと見えて、絶景とのコラボレーションが見事である。ここのプロムナードの両サイドに鎮座する14体の彫刻を小一時間ほど眺めてしまい、すでに「仕事」の文字が記憶の彼方に消えかけている。
甲山森林公園シンボルゾーンの美しいアートと自然の調和 シンボルゾーンと彫刻の道のアートを楽しむ このページの情報は2025年1月8日に訪問した当時のものです。 シンボルゾーンと彫刻の道 指向 斎藤正視 スカイ 北野正治 山の伝記 二つの台...
展望台で大阪の街を一望
続いて展望台に到着。ここは、阪神間だけでなく、生駒山地や金剛山地まで見渡せる絶好のビュースポット。梅田のビル群やあべのハルカスは確認できたが、甲子園の位置がわからずじまい。次回は望遠鏡持参かな。
国指定史跡 大阪城石垣石丁場跡
展望台周辺には、大阪城の石垣用に切り出された石丁場跡が点在している。石だけに、なんとも歴史が重いスポットだが、石がゴロゴロしているだけなので、歴史の深みを理解するには多少の妄想力が必要だ。
11時前まで石を探して歩き回ったが、これがなかなか楽しい。言われてみれば、人工的な造形の岩が結構点在している。
以下のような説明も、しっかり読んでみると、なかなか味わい深い。
徳川大阪城東六甲採石場
甲山周辺を含む六甲山の東麓一帯は良質な花崗岩の産地で、この地で産出した花崗岩は古墳の石室や寺院の石造物など、古墳時代以来多くの用途で使われてきました。
江戸時代には大阪の陣で焼失した大阪城を再築するため、徳川2代将軍秀忠は全国の大名に石垣を築くように命じます。
この命令に従い、全国の大名は各地の山から大阪城の石垣用の石材を切り出し、大阪城まで運びました。
甲山森林公園内には、この時の石切場の跡や大阪城に運ばれることのなかった石材が残されています。
甲山森林公園内の仏性ヶ原から展望台への一帯には「矢」で割られた石材や、長方形に加工された石材、「のみ」で調整された石材などが点在しており、その一部の石材には大名が石を切り出す時に刻んだ「刻印」がある石材(刻印石)も残されています。
刻印を切り出した石材がどの大名のものかを示しています。刻印には大名の家紋や単純な記号などがあります。
仏性ヶ原から展望台の周辺では□の刻印が刻まれた石材が群材しています。□の刻印は大阪での石垣では肥前の鍋島家が石垣工場を担当した地区で確認されていることから、甲山森林公園の仏性ヶ原から、展望台1体で鍋島家が石材を切り出していたことがわかっています。
甲山森林公園の徳川大阪城東六甲採石場 江戸時代初期に大阪城の再築のため使用された石材の採石場跡 このページの情報は2025年1月8日に訪問した当時のものです。 大阪城石垣石丁場跡は、江戸時代初期に大阪城の再築のため使用された石材の採石場跡である。大阪城の石垣はその規模と技術で知られるが...
みくるま池は静寂と美の世界
みくるま池に足を運ぶ。ここは淳和天皇が御車を止めたという伝説がある場所だという。なるほど、そう聞くとただの池がやたらと荘厳に見えてくるから不思議だ。
池の水面に映る甲山と空のコントラストがあまりに美しく、言葉を失う。まあ、次の瞬間には「お腹減ったな」とつぶやいていたけど。
奥には水遊び場があり、小さな子ども連れにもいいスポットだ。ここのトイレも清潔で快適。山の中の施設とは思えないクオリティに驚きつつ、次の目的地の神呪寺へ。
西宮市の神呪寺(かんのうじ)で初詣
11時35分には神呪寺へ。ここでは初詣を兼ねて散策。歴史あるお寺から見える景色もまた絶景で、しばし心を癒された。
神呪寺(かんのうじ)は、兵庫県西宮市の甲山(かぶとやま)の中腹に位置する、真言宗の古刹である。この寺院の歴史は古く、平安時代初期に弘法大師空海によって開創されたと伝えられている。
また、神呪寺には淳和天皇(在位:823~833年)との深いゆかりがある。淳和天皇が甲山一帯を訪れた際、この地の美しさと霊験あらたかな雰囲気に心打たれ、寺院の建立を命じたと言われている。
また、甲山のふもとにある「みくるま池」は、淳和天皇が御車(牛車)を止めたという伝説からその名が付けられた。このように神呪寺とその周辺は、歴史的にも重要な場所である。
神呪寺のもう一つの魅力は、その絶景である。境内からは、西宮市や大阪湾を一望することができ、特に晴れた日には生駒山や淡路島まで見渡せる。
その景色は壮大で、訪れる人々に感動を与える。春には桜が咲き誇り、秋には紅葉が美しく染まるため、四季折々の風景を楽しむことができる。
神呪寺は、観光地としてだけでなく、静かに祈りや瞑想をする場所としても人気がある。また、甲山森林公園や周辺のハイキングコースとセットで訪れる人も多い。歴史と自然が融合した神呪寺は、心を落ち着かせたい時や景色を楽しみたい時にぴったりのスポットである。
神呪寺の魅力は、長い歴史を持ちながらも、訪れる人々に新しい発見や癒しを提供するその奥深さにある。ぜひ一度訪れて、その魅力を体感してほしい。
自由広場と頼山陽の碑で歴史に浸る
第2駐車場に車を移動し、自由広場へ。桜の名所としても有名な場所らしいが、当然ながら1月には桜の気配はない。それでも広々とした空間は気持ちよく、四阿(あずまや)で少し休憩。
さらに頼山陽の碑を発見。日本外史で有名な頼山陽が詠んだ「冑山歌」が刻まれている。碑文をじっと見つめていると、歴史の重みがじわじわと伝わってくる気がする。もっとも、ここでも10分も経たず「そろそろ戻るか」と思う自分の軽さに苦笑い。
頼山陽の詩碑(甲山森林公園の自由広場) 甲山森林公園の自由公園 このページの情報は2025年1月8日に訪問した当時のものです。 頼山陽 冑山歌 冑山昨送我 冑山今迎吾 黙數山陽十往返 山翠依然我白鬚 故鄕有親更衰老 明年當復下此道 日本漢詩選 詩詞世界 冑...
山の駐車場で仕事する新しい発見
正午には駐車場に戻り、いよいよ移動事務所としてのハイゼットカーゴ(クロ)で仕事を開始。周りを見ると、営業マン風の人や作業員らしき人が車で休憩したたり、スマホをいじってたり様々に時間を過ごしている。木々に囲まれた山の駐車場は、まさに天然のオフィスだ。思った以上に集中でき、作業がはかどる。これ、クセになるかもしれない。
甲山森林公園は、自然と歴史、そしてちょっとした非日常を楽しむのに最高の場所だった。移動事務所の可能性も広がり、なんとも充実した一日だった。また行こうと思う。
ほな、また!
今回訪問したところ
兵庫県立甲山森林公園
神呪寺 駐車場
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